第1章 抑止力としてのICC〜ICCの傘の下へ移動せよ!/2.ICCのすごいところ!
ICCには、画期的な性格がたくさんある。思いつく範囲で、あげてみよう。
1.勝者による後付けの裁判ではない!
東京裁判やニュルンベルグ裁判には、「勝者による不公正な裁きだった」という批判がある。常設の裁判所が以前からあれば、こんな批判は生まれなかっただろう。もし、第2次大戦終結時点でICCがあったなら、戦勝国も敗戦国も、同様に裁かれていたに違いない。たとえば、日本軍による中国・重慶(2004年アジア杯のブーイングで、日本の若者の間でも一躍有名になった)への無差別爆撃が裁かれるのと同じように、アメリカ軍の日本各地への無差別爆撃や原爆投下も、ビシバシビシッ! と。
2.責任者処罰で、不処罰の連鎖を断ち、憎しみの連鎖を断つ!
犯罪に責任を負う者が、国家元首や政府の長などだとしても、ICCの前で、優遇されることはない。ICC規程は誰に対しても平等に適用されるのだ(第27条)。しかも、まずは締約国の裁判所で裁かれるとしても、その裁判が不誠実なものであれば、国家から独立したICCがあらためて裁判できる。
それゆえ、もし第2次大戦終結時点でICCがあったなら、トルーマン米大統領や昭和天皇も、きっちり有罪判決を受けていたに違いない。たとえば、前者は、原爆投下による文民虐殺を許可した罪で、後者は、さまざまな国際法違反がなされることを黙認した罪で。
このような責任者処罰の実現は、「政治的理由と配慮」のせいでえんえんと続いてきた「真の責任者」不処罰の連鎖を、断つ。そして、被害者やその遺族の心理的な立ち直りを側面から支援し、憎しみの連鎖を断つうえでも役立つだろう。
3.責任者処罰で、戦争・武力紛争発生を躊躇させ、抑止する!
ジュネーブ条約の「第1追加議定書」は、違反行為について「国家の」賠償責任を定めている(第91条)。だが、違反を行った者「個人の」賠償責任は定めていない。ICC規程は、個人の刑事責任、賠償責任、補償責任を定めている(第75条)。賢明な、あるいは打算的な政治家たちは、これだけでもう、開戦を躊躇すること、間違いなし!
4.個人補償と被害者への賠償制度!
日本政府がアジア侵略戦争の被害者に対してかたくなに拒否しつづけている「個人賠償」「個人補償」が、ICC規程には、当然のものとして組み込まれている(第75条)。時の流れか、意識の違いか、さあ、どっちだろう?
5.罪に時効の適用なし!
ICCが裁く犯罪の刑事責任には、時効が適用されず、犯行者は、法に従って罪をあがなうまで、枕を高くして眠れない。損害賠償請求にも、時効や除斥期間(旧植民地出身者が日本政府や日本企業に求める損害賠償請求は、この除斥期間経過を理由に、日本の裁判所によって却下されるケースが多い)などの出訴制限がない(第29条)。被害者のための正義の実現が、ここでも担保されているのだ。
6.被告もきちんと反論できる充実の手続保障!
黙秘権の完備はもちろん、検察側が持っている情報を全部、被告側に教えなければならないなど、日本の刑事手続では考えられないほど、被告人の権利が保障されている(第55条、第67条など)。人道法を扱うだけあって、さすが、人権重視が徹底されているわけで、日本の刑事手続の実態と比べると、月とスッポン! 月はもちろん……。
7.人間と人権が中心!
戦地での人間の保護、人間の尊厳、人としての権利の保護を中心に据えた、犯罪リスト!
8.普遍的でインターナショナルな性格!
国籍に関係なく文民たる住民、兵士たちを保護する、普遍的でインターナショナルな性格は、まさに国際人道法の真髄を体現している。
9.超国家的な刑事裁判権の設定!
刑罰権は、東京裁判など一部の例外を除き、これまで国家に独占されてきた。ICCに認められた超国家的な刑事裁判権は、将来構築されるべき超国家的共同体、たとえば世界連邦だか世界連盟だかの設立に向かう第1歩、に育てうるのだ。
10.国連から独立していて常任理事国も手出しできない!
ICCは、国連事務総長や国連安全保障理事会と協力して権限を行使する場面もあるが、基本的に国連から独立した機関だ。だから、国連常任理事国の拒否権行使が安全保障理事会の機能をマヒさせてしまっているような事態は、ICCには起こり得ない。頼もしい!
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