第1章 抑止力としてのICC〜ICCの傘の下へ移動せよ!/6.イラク侵略加担を支える2つの命題にツッコミを!
「隣の国が怖いから、強い軍隊を持たなければならない」
「隣の国が危ない国だから、アメリカ軍に守ってもらうため、アメリカ様に忠誠を尽くさなければならない」
有事法制の成立やイラク侵略戦争への加担を支持した人たちの多くは、こういう心情を持っているようだ。他ならぬ小泉首相(当時)も、「国連は北朝鮮から日本を守ってくれないからアメリカについていく」なんて意味のことを言っていたし。
一国の舵取りをし一億数千万の人びとの運命を担う首相の発想としては、「あまりにも安易すぎて、救いようがないくらいに幼稚で論外」な話である。だが、政治家でも中央官僚でもない一般庶民がそういう心情を抱いてしまうのは、やむをえない面もある。なぜなら、こういう心情は、「自分の手のまったく届かないところで始められる」(ここが首相や官僚の場合とは決定的に違う)戦争という、巨大で残酷な運命から、わが身の安全を確保したいという自然な欲求から生まれてくるものだから。頭ごなしに否定できるようなものでは、けっしてない。
それでも、まあ、次のようなツッコミを入れるくらいは、かまうまい。軍隊と安全保障にかかわる常識を問い直すことにかなり密接にかかわる話なので、参考にあげておく。
(命題1)隣の国が怖いから、強い軍隊を持たなければならない。
ほんまに?
隣の国は、まず、本当に軍事的脅威になっているのか?
「脅威のおそろしさ」を伝えるその情報源は、信頼できるものなのか?
その情報源自身の利益のために、もっとはっきり言えば商売やお役所の権益拡大のために、「脅威があるぞ〜」と煽ってるだけではないのか?
たとえ脅威があるとしても、そこから生じる危険や被害が、軍備増強や有事法制なんかで防げるものなのか?
軍備増強は、むしろ相手を追いつめ、暴発を招くのではないか?
「自滅覚悟の、道連れ希望」で攻撃をしかけてこられたら、こちらの一般庶民の被害もトテツモナイものになるのではないか?
それがテロ攻撃だったりしたら、軍隊で被害を防げることって、ほとんどないのではないか?
世界最強の軍事大国を襲った、2001年9月11日のテロ攻撃。オウム真理教の地下鉄サリン事件。カミカゼ的な自爆攻撃。チェチェン独立闘争に関して発生した、航空機爆破や、小学校人質事件。どれも、軍隊が強ければ、防げたのか?
結局は、憎悪とテロの連鎖に日本が巻き込まれないようにすること、戦争事態を招かないこと、それが肝心ではないのか? 戦争事態を招かないようにするうえで、本当に軍隊は必要なのか?
たとえ軍備増強や有事体制で脅威に対抗し「安全確保」できるとしても、代わりに失われるものは、あまりに大きすぎないか?
たとえば、ただでさえ削られっぱなしの教育や福祉の予算がますます削られることにならないか?
福祉目的で導入されたはずの消費税だったのに、いったん徴収されはじめると、福祉関連予算は削られる一方で、政府から聞こえてくるありがたき御言葉は、「痛みを我慢」や「自己責任」の大合唱。税金もらって生き延びてきた銀行たちは例外として、実際に進んできたのは、軍事部門の増大と、警察機構の拡大ばかり。この流れを、ますます加速させた先で待っているのは、いつか来た道、民主政治の終焉ではないのか?
軍備に頼ることは結局戦争を招き寄せ、再びの破滅に日本列島を突き落とすのではないか?
なぜなら、軍事部門は機密を伴う。軍事部門が力を持ちはじめると、民主政治の基礎をとなるべき情報公開の流れは砕かれ、政府のプロパガンダがいかようにも国民を煽動し、戦争という袋小路に市民の暮らしを追い込んでいく……。それは、マイケル・ムーア監督の『華氏911』が描いたブッシュ政権下でのアメリカ社会の姿であり、あるいは、20世紀前半の(そして悲しいことに21世紀初頭の)日本社会のありさまではないか?
しかも、軍備の増強は、敵と見なされた国の軍備の増強を招く。
泥沼の軍事費投入競争あるいは軍需産業支援キャンペーンの果てにあるのは、どちらかのあるいは双方の破局、すなわち経済的あるいは軍事的な壊滅。その愚かさはまさに、倒れるまで「血を吐きながら続けるマラソン」(モロボシ・ダン)だ。
軍拡競争の結末として、もうひとつありうるのが、双方の軍事独裁政権が談合的に敵対ポーズをとりつづけ、「敵の脅威」を喧伝することで異論を封じ込め、双方の市民生活を圧殺しつつ、だらだらと生き延びつづける、「自由なき世界」。
どちらをとっても、万物の霊長たる賢さのかけらも見えない、愚か極まりない結末だ。そんな愚行を、さらしたいのか? 軍事以外の効果的な備えは、本当にないのか? 何か他の方法が、あるんじゃないのか?
(命題2)隣の国が危ない国だから、アメリカ軍に守ってもらうため、アメリカ様に忠誠を尽くさなければならない。
ほんまか?
いざという時、アメリカ様は本当に日本を守ってくれるのか?
守ってくれるとしても、そのいざという時のために、たとえば沖縄の人たちに米軍基地の負担を我慢しろ、などと押しつけつづけるのか?
自分たちの安穏な暮らしが、見えないところで押しつぶされる命や暮らしを犠牲にして成り立っていることに、しかもその犠牲を自分たちが国政選挙を通して支持していることに、ちったあ倫理的な葛藤とか痛みとかを感じないのか?
ICCに背を向けるどころか、その骨抜き化をあの手この手で押し進めようとしているアメリカ様に付き従うことが、政治的に賢明なのか? 倫理的に正しいのか? 本当に日本の安全に役立ち、「テロとの戦争」に勝利して世界平和にも貢献する道なのか? 憎悪の連鎖に日本が巻き込まれる原因となるだけではないのか? 何か他の方法を探す気はないのか?
| 固定リンク
« 第1章 抑止力としてのICC〜ICCの傘の下へ移動せよ!/5.ICCの傘の下に入れば……? | トップページ | 第2章 ICCの傘に入って軍備オフ〜国際救助隊・国際人道支援隊を結成せよ!/1.「軍備オフ」への不安に答える(1) »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- おわりに 〜疑いと熟慮を!〜(2006.07.15)
- 第3章 外国籍者、在外邦人と戦争/2.外国籍者保護のための条約と在外邦人保護(3)(2006.07.15)
- 第3章 外国籍者、在外邦人と戦争/2.外国籍者保護のための条約と在外邦人保護(2)(2006.07.15)
- 第3章 外国籍者、在外邦人と戦争/2.外国籍者保護のための条約と在外邦人保護(1)(2006.07.15)
- 第3章 外国籍者、在外邦人と戦争/1.「国民保護法」の憂鬱(2006.07.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント