「植民者」として「ポストコロニアリズムという挑発」に吹っ飛ばされる(2)
2008.3.6.23:00ころ
『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』(野村浩也・編、松籟社)の紹介が、なかなかうまく書きはじめられません。
読んでもらうのがいちばんだ、というところにどうしても落ち着いてしまいます。
う〜ん、弱りました。
ですので、今回は、ちょっと趣向を変えて、個人的な昔話から。
10年ほど前、沖縄で暮らしたいなあと憧れたことがあります。
気候は温暖だし、食べ物も私の口にはバッチグー。非道な本土の仕打ちに異を唱えてるあたりも激しく共感。
でも、この「共感」って、言葉にした瞬間にそのグロテスクさにぞっとしちゃいます。「非道な仕打ち」を加えてる側の人間が「共感する」なんて言えた義理かよ、と……orz。
結局、米軍基地を押し付けたままで沖縄に引っ越すなんて、わたし的にはどうにもできない、現実味を持って考えられない方向でした。引っ越せるとしたら、いつか米軍基地を撤去させた後だろう、と。
私がでっかい仕事やはたらき口を沖縄に作り出せるような甲斐性のある人間ならまだしも、引っ越しても沖縄で生まれ育った人と仕事の取り合いになるだけなのはあまりに明瞭でした。いや、当時の私が本の編集関係の仕事に就いていたことを考えると、そして沖縄の出版文化の驚嘆すべきパワーを考えると、私なんかの割って入れるようなスペースはいかにもなさげ。万一何かが見つかったとしても、罪業背負ったままなおかつ人の頭を踏みつけにいくことのような気がして、後ろ暗い気分で毎日を過ごすことになるのがやはり落ちでしょう。
行くも地獄、行かぬも地獄。
かくして、きれいさっぱりあきらめました。本島から西表あたりまで、ふらふら徘徊、じゃなくて船旅をしてまわった後で。
思えば、初期『ウルトラ』シリーズの大ファンの私ですので、脚本家の金城哲夫さんへの想いもありました。彼が思い描いていたかも知れない夢、それを踏みにじりその前に立ちふさがったままの「本土=日本」をそのままにして沖縄に引っ越すなんて、大バカやロウのコンコンチキで、スジが思いっきり違うんじゃないか、とか。わけわからん勝手な思い込みって言われりゃ、そのとおりなんですけど。
まあ、そんな私だったので、『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』での野村浩也さんの舌鋒鋭く怨念爆発的な鬼気迫る文章が、すとんと腑に落ちたわけですが、でも、それだけではありません。
あの沖縄徘徊、じゃなかった沖縄の旅の後、日本社会で暮らす外国籍の人、外国にルーツを持つ人たちが直面させられている問題に関わるようになってくると、「植民地主義」「ポストコロニアリズム」という視点が、これまたおそろしいくらいにすんなり理解できるようになっていたんです。
沖縄に住みたい、なんて憧れていた頃には、そんな言葉も概念も、頭の隅っこにさえなかったよーな気がしますけど。
前振りが長くなってしまいましたが、ちょっと勢いが出てきましたので、ここらで一気に、『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』の紹介に入ります。
視点は、次の二つです。
一つは、「植民者」であることを意識しながらも、いまだその「植民地主義」を変えられずにいる「日本人」の一人として。
もう一つは、日本社会の「植民地主義」「ポストコロニアリズム」を外国にルーツを持つマイノリティたちの置かれた状況を通して切実に実感している一人として。
ブログのテーマがテーマですので、後者の視点に重点を置きたいと思うのですが、はてさて、狙いどおりにいきますやら。
まずは、第I部「植民者とは誰か」の冒頭を飾る、編者・野村浩也さんの「日本人という植民者」です。
そうそう、その前に、野村さんが「はじめに」で書いている次の一節を引用しておきます。
植民者を問題化する視点を欠くならば、被植民者をいかに良心的に研究しようとも、植民地主義に関してきわめて不十分にしか認識しえないばかりか、植民地主義に加担することにさえなってしまう。それゆえ、ポストコロニアリズム研究の重要な業績ほど、直接には被植民者を研究対象とする場合であっても、その分析を通じて植民者を批判してきたのである。(007頁)
日本国内のマイノリティと彼・彼女たちが直面させられている問題を研究している方々に、彼・彼女らの支援活動にかかわっている方々に、ぜひともじっくり噛み締めてほしい指摘であります。
さあ、では、まいりましょう。
野村論文では、「日本人」がいかに「沖縄の人」を搾取してきたか、「民主主義に基づく植民地主義」の主体たる「日本人」の罪業がつづられます。
それは徹底して「不平等」な関係の歴史、人としての「対等性」などまったく省みられることもなかった歴史です。
まず、ポストコロニアリズムについて論じた後、「日本人=植民者/沖縄人=被植民者」という二項対立を解体するためにこそ、この二項対立について記述しなければならない、という論文の前提となる立場が表明されます。
続けて、「琉球処分」ならぬ「琉球併合」「琉球征服」で始まった「日本」と「沖縄」の近代以降の歴史、けっして平等のものではなかった、暴力と搾取の歴史が語られていきます。
暴力による征服と、それに続いての「琉球人をそっくり日本人として造り変え」るための同化政策が展開されたことに触れるなかで厳しく提示されるのが、「日本人が他者に同化することも、そっくり造り変えられることも到底考えられなかった」「このような不平等を、深刻な問題として反省的に思考した日本人も、ほとんどいない」(048-049頁)という指摘です。
当ブログの主なテーマに関わってくる在日外国人、旧植民地出身者とその子孫についても、まさにぴったりくる指摘です。そしておそるべきことに、在日外国籍住民とは違って、今も当時も、沖縄人は「日本国籍」。
さらに野村さんは、当時、「沖縄人を日本人に同化させるために積極的に利用されたのが差別である」として、当ブログとも密接に関連する用語の定義を紹介します。
人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益のために行うものである。/中略/この定義を専門的すぎると思われる方は、そこから、例えば、人種差別とはある差異の、自分の利益のための利用であるという、もっと簡単な言い方を引き出してもよい。〔アルベール・メンミ『人種差別』菊池昌実・白井成雄訳〕(049頁)
そして、
日本人は、沖縄人の文化的差異を、みずからの植民地主義的利益のために悪用した。(050頁)
その一方で、日本人が沖縄人の言語の学習を要求されたなどという話は、だれも聞いたことがないはずだ。これは、きわめて不平等である。……日本人は沖縄人に一方的に異文化習得のための労苦と犠牲を強いることによって、沖縄人が自分に合わせてくれるのをただ待っていればよいという特権を享受したのだ。(050頁)
など、なんとも耳の痛い話が続きます。このあたり、私としては去年の外国人集住都市会議を思い出してしまう指摘でもあります。
日本人が沖縄人に同化を強制する究極の方法は、沖縄戦において実践された。……/……右記軍命のなかの「沖縄語」の部分を日本語におきかえてみれば、その理不尽さや異常さは一目瞭然であろう。あるいは大阪弁とか広島弁などにおきかえてみればよい。ほとんどの日本人にとって、大阪弁や広島弁を話した日本人を同じ日本人が虐殺するなどということは到底考えられないはずだが、相手が沖縄人であれば話は別なのだ。(051-052頁)
「右記軍命」についてあれこれ説明は不要でしょう。
そして、「外国人犯罪」という言葉のいびつさ、理不尽さを「日本人犯罪」というおきかえをして訴えたことのある私には、これまた深く実感できる指摘です。
日本人と沖縄人との間のこのような理不尽な不平等性は、植民地主義的関係を証明するに十分である。植民地主義的関係を作り出した張本人は日本人にほかならないが、このことに自覚的な日本人は、きわめて少数でしかないのが現状なのである。(052頁)
あれこれ語っている私だって、その自覚が常にあったかと言われれば、そんなことはありません。きっかけは、1995年の少女暴行事件でした。
今も持続して持ちつづけているかというと、かなり怪しいです。
少し前に、この不平等な関係を解消するためにとも思い、こんなことも考えたのですが、どうもこっちの方向性も実現の気配がありません。残念ながら……orz。
野村さんは、マルコムXの発言を引用しつつ、「母語」を奪うことが植民地化にとってどれほど重要な手段であるかを、指摘します。植民者の「精神的めがね」を被植民者に装着させることで、「差別を差別とも認識せず、搾取を搾取とも思わな」くなる「精神の植民地化」が達成される、と(053-055頁)。
外国にルーツを持つ子どもたちの母語・継承語保障の必要性を実感している私にとって、これもまた重要な指摘です。
沖縄に75%もの在日米軍基地を押しつけているがゆえに、日本には米軍基地があまりにも少ない。そして、ほとんどの日本人は米軍基地のない日本の風景を当たり前と感じている。これは、沖縄への米軍基地の集中を当然視することと表裏一体である。だが、このことを当然とする精神とは、「盗みは神聖なり」とする精神と同様のものである。なぜなら、米軍基地のない日本の風景は、日本人が沖縄人から米軍基地のない沖縄の風景を奪うことで成り立っているからだ。(056頁)
私もこちらで使ったことのある「沖縄戦の教訓」について、野村さんは、次のように指摘します。
植民者にとっての被植民者とは、抵抗の可能性を秘めた潜在的な敵であり、搾取の対象ではあっても、けっして同胞ではない。……一方、日本軍とは植民者の軍隊にほかならない。……「植民者の軍隊は植民地原住民を守らない」とした方がより正確ではないだろうか。」(057-058頁)
う〜ん、まさにそのとおり、なのかも。
そもそも沖縄戦とは、日本人を守るために沖縄人を犠牲にした「捨て石」作戦であった。沖縄人の4人に1人を「捨て石」として戦火の犠牲にすることによって、日本人は「本土決戦」を免れたといっても過言ではないのだから。……このことは、敗戦後の日本人が、「平和憲法」と民主主義および自由と独立を手に入れるための「捨て石」として、沖縄人を平然と合州国に差しだしたことと連動している。(058頁)
この最後の文章は、「日本国の独立とセットで琉球諸島の日本国からの分離を規定したサンフランシスコ平和条約(対日講和条約)を日本人が大歓迎したこと」を指しています。「日本人はその歓迎の意志を、沖縄人の反対を完全に無視して、1945年から与えられた完全普通選挙という民主主義的手続きを通して明白に表明した。一方、当時の琉球諸島住民は、選挙権すら剥奪されており、みずからの意志を表明するための一切の法的権李や基本的人権を奪われていたのだ。」(062頁)
さらに、日本人のほとんどは、現在もなお、沖縄人を在日米軍基地を押しつけるための「捨て石」にして平気である。このようにいとも簡単に「捨て石」にできるのは、日本人が沖縄人をけっして日本人扱いしていないからであり、日本人にとって、沖縄人は日本人でないからだといえよう。(058-059頁)
さらに野村さんの厳しい指摘が続きます。この野村論文の内容は、とくに第II部の桃原論文が記述する沖縄の状況と密接に関係していきます。
やば。どんどんブログのテーマから離れてきた気がします。
論文のしめくくりに当たるパートで、野村さんは、「沖縄人は日本国民人口の約1%でしかない圧倒的少数派である。多数決原理が採用されている以上、沖縄人の意志が踏みにじられることは最初からあきらかであり、日本国の民主主義は、実際には多数者の独裁に堕落している。」(066頁)と指摘し、「制度上、民主主義を通じて実践された植民地主義」を「民主主義を通じて終焉させること」を、圧倒的多数派たる「日本人」に期待しています。具体的には、米軍基地を本土に持ち帰り公平な分担をなすことが例として挙げられています。
私としては、こっちの道を進みたいんですが、日米安保と在日米軍基地やむなし、というのであれば、米軍基地の本土移転を進めるのがスジでしょう。
ここで思うのは、多数決原理と少数者の意志や人権の関係です。
日本国籍の沖縄人ですらこの状況では、外国籍の住民の扱いが悪夢のようなものになってしまうのは、自然な成り行きかも、と思えてきます。ホームレスの人たちに対する大阪市の仕打ちにも感じた、あの絶望的な感覚です。
同時に実感するのは、少数者が直面している深刻な人権侵害に、それと直接向き合わずにすむ多数者が関心を持ちつづけ、解消に取り組むことの困難さです。また、少数者の側が、そのような問題があることを多数者の側に伝えていくこと、理解し共感してもらうこと、さらには行動につなげていってもらうことの困難さです。
ああ、もうあれもこれも、重苦しい……。
続く池田論文では、植民者である日本人が「植民地主義」と闘うための実践が、さらに郭論文では、在日朝鮮人が植民地主義と闘うということ、そして日本人が「植民地主義」と闘うということが、語られます。ここをこそ、当ブログのテーマに関心のある方々には読んでほしい。そう強く思います。
う〜ん、しかし、なんかもう、この調子では、当ブログでいつご紹介できるやら。読み応え、紹介しがいがありすぎの本なんです。
しかも、ただでさえ、そろそろ恒例の春眠の季節が近づいていますので、下手をすると夏以降になる悪寒……がします。
そんなの待ってらんない、という皆さま、どうか直接お読みください。
上で紹介したのも、野村論文のほんのさわりでしかありませんので、私の読解、紹介の不十分さも堪能(?)できるはずです。
よろしくお願いしますです。ぜひとも。
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