2006.11.19.01:00ころ
当ブログを地道にチェックしてくれている「極右」ブログが2つあります。
一つは、侍蟻 SamuraiAri。もう一つは、極右評論です。「維新政党・新風」とか、「〜新しい風を求めて〜ネット連合」などと直接関わりのあるブログのようです。
前者は一度トラバをくれており、それなりに読ませる論理もあるので、ちょっと好印象を持ったのですが、
そこの主催の方が管理しておられるという「極右評論」には、理解できかねる部分が少なくありません。
それでも、どちらのブログからもいわゆる「荒らし」が大量に押しかけてきて当ブログのコメント欄が炎上するなどということもなく、その点については、ブログに言論の場を持つ者としての信頼感というか好意というかを、なんとはなしに、両ブログとその読者に対して、感じています。現在の立場や考えは強烈に違っても、ひょっとしたらあちらの読者にも、私の主張していることがいくらか理解しえもらえるのかも、とか。まあ、甘っちょろい期待かも知れませんが。
ともあれ、当ブログとは立ち位置と視点があまりに違いすぎて今もあまり読む気がしない両ブログですが、こちらにコメントをくれた佐倉さんは、このどちらかのブログを経由して当ブログに来られたようです。また、「侍蟻」さんのブログに、ちょっと気になる一文が最近掲載されました。この機に、佐倉さんへの返答を兼ねて、両ブログを眺めての雑感を書いてみます。
辛辣な内容になった気もしますが、それはお互いさま、言論・表現のブログを運営する者同士のこととして、きっとご理解いただけるでしょう。すべての記事をきちんと読んだわけでもないので勘違いなどあるかも知れませんが、それもまたお互いさまということで、ご容赦いただけるでしょう。
そして、後は読者の皆さまのご判断にお任せするのが、「言論の自由市場」で意見をぶつけ合う者として、最適かと思います。
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最初、「極右評論」さんのところで当ブログの掲げる「多文化・多民族・多国籍」という言葉がどうも「スローガン」だと受け取られているようでびっくりしました(多国籍まで含めて掲げているところは、寡聞にして当ブログ以外に知りません)。
だって、これはスローガンなんかではない、単なる事実です。この日本社会に厳然として存在する現実です。
本ブログにスローガンがあるとすれば、「極右評論」さんがここで触れなかった「人として」の部分です。
「こんな現実があるんだから、それに合わせて、すべての人が尊重される、もっと人に優しい社会をに変えていこう。それが日本国籍を持つ人にとってもプラスになるし、人として当然目指すべき道じゃない?」
というわけですが、その目指すべき「人」のあり方が、「極右評論」さんや「侍蟻」さんと私とでは、まったく異なるようで、しかも、遠すぎるものを感じてしまいます。
目的だけでなく、そもそもの出発点、立脚点も異なります。
たとえば、「極右評論」さんの単一民族国家 それが日本社会だ!"というエントリーですが、明治以降の近代日本が歩んだ歴史を振り返ると、事実の一部のみをフレームアップして作った虚構だと断ぜざるを得ません。
そのエントリーでも紹介されている沖縄、アイヌの人たちの例を挙げればわかるように、近代国家としての日本は、その成立時からして、多民族国家でした。だからこそ、アイヌ民族に対する創氏改名(1876年)や伝統的な生活、生産手段の剥奪・破壊に始まり、琉球処分(1879年)後の沖縄でも同化教育が展開されていったのです。
そして、その後も、嫌、今でさえ、アイヌ民族、琉球民族に対する差別は厳然として存在してきました。
(こちらで紹介されている書籍などをご参照ください。また、こちらで紹介した『人類館 封印された扉』も超お薦めです。)
「単一民族化」を押し進めるために日本政府が展開した「同化政策」をまったく無視して、「長年にかけて融和を図ってきた」などと主張するのは、虚構の上に作り上げた残酷な物語だと言うほかありません。
残念なことに、この手の言説を心地よい「癒し」として好む人が少なくないのでしょう。石原都知事の人気や、『マンガ嫌韓流』の書店での一時の平積み具合と同様の構図でしょうが、その構図は、どことなくカルトっぽいなあ、と思います。
(『マンガ嫌韓流』しかお読みになったことのない方は、『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ—まじめな反論 不毛な「嫌韓」「反日」に終止符を!対話と協力で平和を!! 』をぜひお読みください。)
そして、いわんや、21世紀に入った現在においておや。
大日本帝国時代に日本本土に移り住んだ被植民地の人たちの子孫や、その他様々な理由でこの国に移り住んできた人たちやそのまた子孫たちが、すでにかなりの数、日本国籍を取得しています。そして、父母の国の文化を日本の文化と同様に自分たちの子どもに伝えようと、努力している人も大勢います。
そこを見れば、「日本は多民族国家」だという現実があらためて確認できるのではないでしょうか。
にもかかわらず、この国の「多民族性」を認めず、「日本は単一民族国家」であるという「架空の事実」にすがろうとするのなら、その姿勢は「その単一民族」に入りきらぬ人たちの存在を思考の上から排除・抹殺するものであり、きわめて残酷かつ危険です。
実際にアイヌ民族や琉球民族に対する差別撤廃を掲げて当事者が声を上げている事実自体が、「極右評論」さんには無視され、『すべては「在日朝鮮人」の姑息なまでの陰謀』だと単純化されています。
ナチスがすべての悪の根源としてユダヤ人をスケープゴートにしたのと同じ構図が、ここでは見えます。自民党のやり口と同じじゃん、と思えます。
「日本が多民族国家である」「日本は多文化・多民族社会である」という事実を認めることを拒絶して、「架空の日本(像)」を作り上げ、「事実を語ることは日本を破壊することだ」などと主張されると、なんだかカルトの伝道師に説教されてるみたいで、疲れてしまいます。せっかくの週末なのに……。
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外国人犯罪や不法滞在者による犯罪に、とりわけ強い憎しみを抱く感情が心の底から湧いてきたとすれば、それはレイシズム、差別意識に心を蝕まれている証拠です。
そもそも、ある程度人生経験を積んできた人なら、わかるはずです。
集団とそこに属する個人とを同一視することが、いかに無茶な話であるのかを。
ただ、こうしたレイシズム、差別意識が、今のあなたや私の心の中にあるとしても、無理からぬことだと思います。
日本政府が率先して「外国人犯罪」「不法滞在者による犯罪」の脅威を煽ってきた昨今の社会状況を見れば、そして、それをマスメディアが補強し、さらに、真偽定かでない恐ろしげな情報がウェブにあふれ返っている今の日本の状況を考えれば、ある意味、一種の「ブレイン・ウォッシング(洗脳)」にあなたも私も曝されているわけですから。
問題は、その先です。
レイシズムや差別意識に強くとらわれると、社会の現実が見えなくなります。
「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」
というマスター・ヨーダの言葉を引用するまでもなく、
いわれのない差別や偏見を基に社会の現実を理解しようとすれば、間違った結論ばかりが導かれることになり、遂には、無実の他者に危害を加えることになってしまいます。
上記2つのブログ主は、今、そんな迷宮に入り込んでしまっているように見受けます。
社会の中で誰かに対して「強者の側」にいる人は、その誰かに対して危害を加えやすい立場にあるわけで、より一層の注意と自制が求められます。
いや、その「強者」「弱者」の関係はあくまで相対的なものなので、誰かにとっての「弱者」が別の誰かにとっては「強者」であることも、珍しくありませんから、私たちは皆、心に植え付けられてしまったレイシズムや差別意識に打ち勝つ努力を、常に続けねばなりません。
心に巣食ったレイシズムや差別意識を消し去る努力をするのが望ましいと個人的には思いますが、それが無理であれば、せめて、そのレイシズムや差別意識に基づいた行動をとることを避け、レイシズムや差別意識に基づいた現実があれば、その変革を目指す。そんな努力を続けることで、人は人間として成長し、成熟していくのです。
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いわゆる「不法滞在」の人たちが、日本の出入国管理及び難民認定法に違反する状態にあるのは、否定できません。その点だけ、フォーラムにおける佐倉さんの「野次」は正しい。
しかし、「その言葉を使いたくない」「非正規滞在という言葉を使いたい」という報告者の姿勢も、極めて自然であって、正当性があります。
日本政府が「不法滞在は犯罪の温床である」などという悪質なプロパガンダを展開したおかげで、「不法滞在者」イコール「犯罪者またはその予備軍」というイメージが、日本社会には広まってしまいました。そのことは、内閣府の世論調査結果などに現れています(何度も紹介していますが、『治安ほほんとうに悪化しているのか』久保大・著や、当ブログのこちらのグラフなどをご覧ください)。
そんな社会の中で、「不法滞在者」イコール「犯罪者またはその予備軍」ではない、と知っている報告者が、そして、そういう立場の子どもたちを支援している報告者が、「不法滞在」などという言葉を避けようとするのは、ごくごく自然な話です。自然な人情です。
そして、それを知りつつあえてあのような「野次」を飛ばした佐倉さんは、人道という本来ならば法をも超越するものに則って活動をしている報告者に対して、この社会状況における「強者の立場」から、極めて底意地の悪い言葉を投げつけたのです。それは「ツッコミ」などと軽く呼べるものではとうていありません。
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考えてほしいのが、いかなる出入国管理政策を日本政府が採用しようとも、この世界に経済格差が存在する限り、そして、日本の経済力が世界最下位にでもならない限り、日本に生活の場、生活の糧を稼ぐ場を求めて来る人は、合法・非合法いずれの形でもなくなりはしないだろう、ということです。
そして、その人たちがこの地で育んだ家族の中には、日本から追い出すのはあまりにも酷な結果になる子どもたちが、当然に生まれ、育ってきます。
そんな子どもたちを、親が「不法滞在」だからといって日本から追い出すことを正当化するのは、残酷過ぎるのではありませんか。
窮鳥懐(ふところ)に入(い)れば猟師(りょうし)も殺さず。
「これは中国の言葉なので、そんなものは日本では通用しない」などと言われてしまいそうですが、
そんな情けすら「不法滞在」という一言で消し去ってしまうのが、はたして人として正しいことなのでしょうか。
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また、「不法滞在」というだけで、その人の生活の実態を見ずに、この社会から追い出してしまってよいとする主張は、冷酷過ぎるだけでなく、この社会の中に、人として当然認められるべき権利や保護を受けられない新たな「賤民」を生み出すという点で、極めて危険です。
夢を追う人たちの国境を越えた移動と国家による入管政策との軋轢から生まれる「不法滞在」は、いつまでもなくならないでしょう。
そうであれば、この日本社会には、一人前の「人権」を認められず「人の情け」にも保護されない「不法滞在者」という「賤民」層が、常に再生産されつづけることになります。
そんな社会が、はたして日本人にとっても住みやすい社会でしょうか?
自民・公明連立政権は、『悪夢のサイクル—ネオリベラリズム循環』によってこれからますます広げる国民の間のさまざまな格差が生むであろう不満のはけ口として、新たな「被差別民」「賤民」を必要としています。
そこで、日本国民はなることのない、いわば、日本国民からは安心して叩ける「被差別民」「賤民」として、また、国際的にも非難を浴びることが少ないだろうということで、「不法滞在者」が選ばれた。私にはそう思えます。
(今は北朝鮮政府も日本政府への不満をそらすための格好のスケープゴートになっていますが、こちらはいつまでもスケープゴートでいてくれるとは限りません。)
「不法滞在者」を非難していれば失政に対する国民の不満をそらし続けることがいつまでも可能なのですから、日本の権力者たちにとっては、こんな便利な話はないでしょう。そしてそれは、下層レベルに位置づけられた日本国民の生活の改善には、まったくつながらないという、まったく悲惨な結末にたどり着きます。
(こちらのエントリーをご参照ください。)
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佐倉さんのフォーラムでの発言を「野次」と呼んだのは、上に書いたような冷酷さを感じたからであり、また、報告の途中に無理矢理割って入る無粋なもの、フォーラムの進行を妨げるものだったからでもあります。
この佐倉さんの無粋さ、冷酷さをほめ讃える「侍蟻」さんは、来週のシンポジウムが「盛況になりそうだ」と、嬉しそうに記しています。
この一文は、「侍蟻」さんのお仲間が、シンポジウムの進行を妨げようとする「無粋」な行動か、「虚構」に基づいた「カルトで冷酷な言動」か、そのどちらかをシンポジウムの場でなそうとしていると、私にはそう読めます。
できれば、以前トラバをもらった時に感じた好印象を信じたいですし、
また、仮にも「侍」を名乗るブログのお仲間にそんなことをする人はいないと思いたいですし、
さらには、そんな冷酷さや無粋さこそが彼らの守ろうとしている「日本像」だとは思いたくありませんので、
この読解が誤りであって、
佐倉さんが無粋で冷酷でありながらもある面での「事実」を語ったような節度が、「侍蟻」さんのお仲間にあることを、そして、佐倉さんと違ってシンポジウムの進行を妨げないだけの成熟した節度を「侍蟻」さんのお仲間たちが持っているだろうという期待を、「侍」の名に託して、このエントリーを終えたいと思います。
私のブログが紹介したがためにシンポジウムが変な具合に荒らされるなんていうおそれを、黙って見過ごすわけにはいきませんので。
(おまけ)
「外国人犯罪」の宣伝と報道(英訳付き、コムスタカー外国人と共に生きる会)他(2006.07.07)
『治安はほんとうに悪化しているのか』東京都治安対策担当部長(前)の懺悔あるいは告白(2006.07.16)
『治安はほんとうに悪化しているのか』書評on読売新聞!!(2006.7.25)
在留許可求め、東京入管前でデモ/「治安悪化説に異論」(東京新聞インタビュー)(2006.09.24)
「またテロですよ!」(非国民通信)を読んで(入管法改定案に関する国会会議録より)(2006.10.15)
共謀罪審議に松島みどり議員が登場(入管法改定案に関する国会会議録より)(2006.10.22)
虚構の上に立ついやしの「極右」か、現実の上に立つ節度ある「極右」か(2006.11.19)
【超お薦め!】『犯罪不安社会』を読んで、明るい2007年へ!(2006.12.25)
「外国人犯罪」不安にどう立ち向かうか/「来日外国人」数の試算(2007.1.3)
「リピーター=凶悪犯」か?/人と人との連帯の可能性と素晴らしさと(2007.1.12)
法治国家で窮鳥懐に入れば大岡裁きに遠山桜!/在留支援のためのお願い2つ(2007.1.23)
コムスタカー外国人と共に生きる会
インターネット新聞『JANJAN』:
★『マヤカシの「外国人犯罪増加」論〜「人種差別」と「棄民」を生む社会の行方〜』(2004/04/15)
★『マヤカシの「外国人犯罪増加」論〜「人種差別」と「棄民」を生む社会の行方〜』(全4回の第2回)(2004/04/16)
★『マヤカシの「外国人犯罪増加」論〜「人種差別」と「棄民」を生む社会の行方〜』(全4回の第3回)(2004/04/17)
★『マヤカシの「外国人犯罪増加」論〜「人種差別」と「棄民」を生む社会の行方〜』(全4回の第4回)(2004/04/18)
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