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「植民者」として「ポストコロニアリズムという挑発」に吹っ飛ばされる(1)

2008.2.24.22:10ころ

 植民地主義との訣別は、何も被植民者だけの課題ではない。また、植民者と訣別すべきは、被植民者ばかりではない。植民地主義ともっとも訣別しなければならないのは、むしろ植民者の方なのだ。さらに、植民者ともっとも訣別しなければならないのも、植民者自身にほかならない。なぜなら、植民者自身が植民地主義と訣別しないかぎり、植民地主義はけっして終わらないし、そもそも終わりようがないからだ。(野村浩也、『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』「はじめに」005-6頁)

 「植民地主義に訣別しよう」という呼びかけは、「平等を実現しよう」という呼びかけでもあるのだ。(同上、010頁)

この本では、「日本」がいかに「沖縄」を「癒しの楽園」として利用し、搾取してきたか、おそらく「本土」の人間はほとんど知らない(あるいは忘れてしまった)多くの事実とともに、綴られています。

沖縄の米軍基地問題を考える際、「日本人」(本土の人)にぜひとも読んでもらいたい一冊です。

ポストコロニアリズムとは何か。
「沖縄」と「日本」の関係はどんなものなのか。その歴史は? 現在は? その関係はどうやって形成されてきたのか? 今ここにある「植民地主義」に「植民者」自身が抵抗し、抜け出し、「被植民者」と対等の関係・平等の関係を結んでいくには、何をなすべきなのか?

今回ご紹介する『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』(野村浩也・編、松籟社)は、そんなあたりを中心に、激しくいろいろ考えさせてくれる、超お薦めの一冊です。

たとえば、私の場合、(日本国内における)マイノリティ研究やマイノリティに関する言説が、ポストコロニアリズムとまさに密接に関連していること、いや、そのまま同一の領域に重なって収まることを、ビビッドに実感させられれました。そして、坂中・元東京入管局長などは自分のことを「同化主義」者だなどと語っているそうなんですが、「植民地主義者」と呼ぶ方が、むしろふさわしいんだなあと、確信させてくれました。

実を言うと、ここのところずっと、この本の内容を紹介しようと頭を悩ませてきたのですが、あまりに盛りだくさんで、いかんともしがたいのです。中身が濃すぎます。
真っ当に紹介しようとすれば、それこそ10人の執筆者の論文等、それぞれ別に紹介記事を書いて、そのうえで全体についてもう一度語る、なんて方法しか、私には思いつきません。ああ、力量不足……(;<>;)。

また、当ブログとの関連で言えば、第I部「植民者とはだれか」から、冒頭の野村浩也さんの「日本人という植民者」から順に、「日本人」池田緑さんによる「沖縄への欲望——“他者”の“領有”と日本人の言説政治」、そして「在日朝鮮人」郭基煥さんによる「責任としての抵抗——ファノン、レヴィナス、李良枝を中心に」のあたりを重点的に取り上げるべきなんでしょう。
しかし、沖縄で米兵による暴行事件がまた起きて、しかもすでに本土マスメディアからは忘却の彼方に追いやられつつあるのを実感している今、まずは違った角度から取り上げるべきだろうなあ、なんて感じます。

そこで、本記事の冒頭と同じく、『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』の著者であり、本書の編者でもある野村浩也さんによる「はじめに」から、いくつかの文章を抜粋して、今回の紹介に代えたいと思います。
池田さん、郭さんの論文については必ず、また、その他の方の論文についても、いずれあらためて紹介したいと思います。どれも時期等、確約はできませんがm(_ _)m。
以下、下線は当ブログ主がつけました。

 被植民者を犠牲にして、植民者が自己の欲望を存分に満たすことのできる癒しの空間、それが植民地なのだ。したがって、植民地とは、植民者という野蛮人にとって、文字通りの「楽園」——野蛮人のための癒しの楽園——にほかならない。にもかかわらず、いつも決まって「野蛮」や「ならず者」と表象されるのは、なぜか被植民者の側なのだ。(野村浩也、『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』「はじめに」007頁)

 被植民者にとっての被植民者研究とは、植民地化の過程で被植民者自身の精神に棲みついた植民者を抉り出し、自己の内部において植民者と闘う行為でもある。植民地化された自己との、苦しみをともなう闘いは、被植民者が植民地主義に訣別するための不可欠のプロセスなのだ。そして、このときの被植民者にとって、植民者を批判的に研究することは、自己と闘うための大きな武器となる。なぜなら、それがすぐさま自己批判となって被植民者に跳ね返り、彼/彼女の内部に棲む植民者を痛打するからだ。  いうまでもなく、このようなプロセスは、むしろ植民者にとってこそ必要なものにほかならない。つまり、植民者が植民地主義と訣別するためには、自分自身と闘うことが不可欠であり、そのための強力な武器こそ、自分という植民者を研究することなのだ。(同上、008頁)

 ポストコロニアリズム研究の重要な意義のひとつは、植民者に向けて、植民地主義との訣別をうながすことにあるといえよう。(同上、006頁)

『犯罪不安社会〜誰もが「不審者」?』(浜井浩一・芹沢一也・著、光文社新書)に続く、超お薦めの一冊です。

ビビッと来た方もそうでない方も、ぜひぜひ一度お読みくださいませ。

 

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コメント

古来色んな人が『植民』をしていたんでしょう。
「K君への手紙」さんから抜き出しますと、
http://www.doujidaisya.co.jp/mr-k21.html
コンラッドの『闇の奥』に登場する奥コンゴの象牙収集会社支社長「クルツ氏」は興味深い人物・・。ハンナ・アレント[の労作『全体主義の起原』〔全三巻〕]は、二〇世紀になって途方もない流血をもたらしたヨーロッパ人たちの人種妄想〔ユダヤ人の「最終的処理」にまで行きついたそれ〕の根っ子がどこにあるのか、その背景を知るには、いかなる歴史書、比較民俗学の書物よりもコンラッドのこの本に勝るものはない、とまで言い切った。・・「クルツ氏」のモデルはカール・ぺータースではないか、と言う。この男は、一八九七年、アフリカ原住民に対するあまりの残虐行為の廉で、ドイツ帝国議会により赴任地東南アフリカから退去させられた。帰国後の彼は、自らの「植民の意欲の動機」について「わたしは、賎民(パーリア)の一人とみなされることに《うんざり》して、支配民族の一員となろうとしたのだ」と告白した。そしてその告白は民衆から喝采を持って迎えられた。
 アレントは、全体主義の成立が「モッブ〔難民〕と資本の同盟」にかかっていたことを明らかにしたが、「クルツ氏」はその好例として引き出されているのである。要するに社会からの「外され者」=居場所のない故郷喪失者(ディスプレイスト・マン)。その屈折した絶望的な心理がプロパガンダによって狂気と化したとき、「クルツ氏」は傲然と言い放った。「よろしく彼等(蛮人)野獣を根絶せよ」と。

武力で先住民を蹴散らす例も歴史には散在していますけど、大阪の鷹合という地にリヤカーで世界を放浪する凄いおっちゃんが居るそうで、ニュースにもなってはった。大概は平和な移住やったンやと思います。
或いは、えげつない植民を告発するラス・カサスのような人も居る。果てまた、生活向上をココロから願って善意の末、結果的に「伝統的な暮らし」を「引っ掻き回して」しまうこともままある。「ああ多難か、御呼び出ない」ってことなんでしょうか。
いずれにせよ、安上がり労働力として使い捨てようなんていう気が財界にはなくても、社会制度が整っていない中で呼び寄せたら、「棄民」化してしまわざるをえないんでしょうね。「外国人労働」を受け入れる[雇う]なら、跡継ぎにする[全財産を譲る]気でないとアカンって言ってた立派な感覚の経営者も居た。それにひきかえ、
「大東亜共栄」なんて景気の良いアドバルーン、或いはインターニャショ鳴るなんていうのもそうやけど、いつの間にか一国ケインズ主義の「平和」「繁栄」に収まって、それが「行き詰まったら」、
「もう思考停止」状態ですからね。
「孟子[天命チェンジで革命の末、愛にと礼儀に満ちた政治、抜け道だらけで、腐敗堕落]
⇒始皇帝[厳しい法令と監視で圧制]
⇒死![息苦しすぎて、各地で叛乱。しっちゃかめっちゃ下の殺し合いで、」
てなサイクルかな? 高貴な人の或いは一般庶民の結婚を積み重ねても、なかなか相互理解の巾は広がらんのか、案外文化交流は進んで行ってるのか? 旧ソ連諸国やユーゴ等の民族対立の例、アメリカの貧富の格差拡大による宗教的政治の深化等々、ステレオタイプの報道や宣伝では掴みきれませんね。くそ真面目な人ほど、話を善悪2元・敵味方に単純化してしまう傾向もあるようで、レーニンの組織論の党内対立を止揚して「鉄の結束」への純化が、「浄化」に、しかも「民族」という形容詞を付けたような「ジェノサイド」の煽動になりかねない「お粗末さ」もある。そんなあほな?!ってことが多すぎ。

三介さん、こんばんは。


アレントの分析、『植民者へ』でも紹介されていました。

-----(引用開始)-----
アレントによれば、海外において大規模な帝国主義を展開した英国のような国家は、「共同体において不要」となり「社会に危険」を与える「怠惰な」人間が溢れるときに、彼/彼女らを植民地に送り込むことによって、「暴力の輸出」をすることができたという。したがって、海外植民地という「はけ口」の分け前に大して与れなかったドイツのような国家は、ファシズムあるいは全体主義に陥りやすかったのである。したがってセゼールは、ファシズムとは被植民者ではなくヨーロッパ人に向けられた植民地主義なのだ、と正確に論じた。セゼールいわく、ヨーロッパ人は「このナチズムというやつを、それが自分たちに対して猛威をふるうまでは、許容し、免罪し、目をつぶり、正当化してきた——なぜなら、そいつはそれまでは非ヨーロッパ人に対してしか適用されていなかったからである」。それは「それまでアルジェリアのアラブ人、インドの「苦力」、アフリカの「ニグロ」にしか使われなかった植民地主義的やり方をヨーロッパに適用」したものなのだ。(島袋まりあ、「太平洋を横断する植民地主義——日米両国の革新派と「県外移設論」をめぐって」331-2頁)
-----(引用終了)-----

なんとも、いろいろ想像をかきたててくれる分析です。

>いずれにせよ、安上がり労働力として使い捨てようなんていう気が財界にはなくても、社会制度が整っていない中で呼び寄せたら、「棄民」化してしまわざるをえないんでしょうね。

同感です。そこをどう固定化させない方向へ持っていけるかが鍵なんだと思います。

>「外国人労働」を受け入れる[雇う]なら、跡継ぎにする[全財産を譲る]気でないとアカンって言ってた立派な感覚の経営者も居た。

ああ、そんな経営者たちが経団連とかのトップにいたなら……。
昔の商家が養子につがせていった、っていう話もありましたし、なんとかならんものなのかなあ……(>日本の財界)。

善悪2元論、敵味方の単純区分について、私もけっこうシンプルに分けちゃうことがあるのですが(汗)、実はそんな単純にとらえきれるものじゃあないんですよね、人間って。言動とかは別にして。ですので、私の目から見てあまりにシンプルに区分けしちゃってる人を見ると、「ぶんがくが、たりな〜い!!」と、ろくに文学に接したこともないくせに(しかも自分のことは棚に上げて)叫びたくなっちゃったりします(^^;)。

ここからちょっと話はずれますが、『植民者へ』の中で「沖縄人」「日本人」という「二分論」が是か非か、という話が前提として出てきます。「植民地主義」という現実あるいは関係性を考えるとき、そしてそこから植民者・被植民者双方が抜け出す道を探すとき、これはやはり必要な二分論だろうなあ、と思います。
ただ、その観点からは有益な(はずの)ものが、しかしまかり間違うと「お粗末」な結果に結びつきかねない危うさを秘めていて、ああ、このあたりはお酒に似てるかも(^^;)?

今晩は、うささん。ちょうど、ここでも「植民地主義」のこと語られてますね。沖縄と「本土」に関して。
asahi.com> マイタウン> 広島 ピース@ヒロシマ
「沖縄米兵暴行事件で日本を問う 2008年02月27日」
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160802270002
「野村浩也・広島修道大教授に、・・聞いた。」武田さんの記事。
「米国の高官は沖縄の米軍基地の本土移設が可能なことを表明・・、地政学上、戦略上の理由だけで沖縄への基地集中を正当化することはできない・・。そもそも沖縄への基地集中は日本政府の承認によってなされた・・。やろうとしていないだけで、日本人の政治的意思によって拒否・・は可能なはずです」

以前「月刊誌「世界」の「新ガイドライン特集号」で、遠まわしに昭和天皇の決断のことを読んだことがありますが、もっと直裁に「売った」って書いてる文章もどこかで読んだ気がします。大田元知事の『醜い日本人』を読むと、沖縄県民にも経済援助に『矮小化』せざるを得ない地元の経済的苦悩があるようにも読めます。大田さんはもちろんそういった態度に批判的ですけど、何度訴えても届かない『絶望感』は共有してはるとも思える。
『国境』と『警護』、この2つの言葉は、マイノリティー問題の中でもなかなか表に出てきにくい部分の象徴みたいです。以前、『小説・中野学校』をログで取り上げ、
「英国では、花形の仕事して『諜報』は存在するけど・・」
日本では「忍≒ヒにん」ですからね。それも明治維新の「ねじれ」って言えるのかも。今日も引き摺っているようで、
、何とかホドキたいんねんけど、一筋縄ではいきまへん。あ、宮本常一さんの『塩の道』も買ったまま置いてたんですけど、読んでみたら、面白いですね。講談社学術文庫。ホントはもっと色んなこと、聞き取ってはる様な気もします。そこをやんわり表現されているような。
>『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』
3360円。さすがにええ値しますね。図書館かな。

三介さん、おはようございます。

>asahi.com> マイタウン> 広島 ピース@ヒロシマ
>「沖縄米兵暴行事件で日本を問う 2008年02月27日」
>http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160802270002

おお、編者の野村さんへのインタビューですね。インタビュアー、『植民者へ』や『無意識の植民地主義』を読んでるのかな。読んでたら「違和感を覚える」とか書けない気がします。私なんか、「違和感を覚えない」のはなぜかをどう伝えればいいのか、そこがネックになって、なかなか紹介記事に取り組めずにきました。今もきちんと伝えられるか、非常に心もとないままです。

007とカムイとじゃあ、扱いが違いすぎます。「忍≒ヒにん」というのも、いつごろからそういう結びつきがイメージされるようになったのか。やっぱ維新がきっかけになってるんでしょうか。『国境』と『警護』って、意識しないですむ人にはまったく意識せずにすむ領域ですし、場合によっては、権力者が隠したがるところですしね。政治の体制なんかも影響してそうです。

>宮本常一さんの『塩の道』も買ったまま置いてたんですけど、読んでみたら、面白いですね。講談社学術文庫。ホントはもっと色んなこと、聞き取ってはる様な気もします。そこをやんわり表現されているような。

宿題リストに追加しました(^^)v。

>3360円。さすがにええ値しますね。図書館かな。

ぜひぜひ、お試しください。500頁強、読み応えも強、だと思います。

花岡信昭の記事に代表される米兵に暴行された沖縄の少女をセカンドレイプして止まない産経と、これに扇動された2ちゃんねる掲示板の書き込みのありようは、沖縄を中国・韓国・北朝鮮の特定アジアと同じに見做したものであり、これを『無意識の植民地主義』といわずして何というのかという思いはあります。

ゴンベイさん、こんばんは。

花岡某とか、「本土」内で被害者が出たときも同様の発言を繰り出してきそうですが、「本土」側が沖縄を虐げることで利益を得てきたという歴史や現実と合わせて考えるとき、彼・彼女らの暴言・妄言の数々は「植民地主義」の現れというほかないでしょう。
情けないのは、それを是正したり糾したりすることもできず、現状に加担することになってしまってる我が身の無力さです。米軍基地の比率に併せて国会議員定数を配分するとかしないと、この状況に変化はないのか、なんて思う我が身の愚かさも。

この「植民地主義」から私たちがぬけ出すのと、軍備による安全保障から国際法による安全保障への転換、自衛隊の国際救助隊への組織転換を実現する(http://ukiuki.way-nifty.com/war/)のと、どっちが早いんだろうか、なんて考えて、途方に暮れるばかりの昨今です。せっかくICCに加盟したのに、まだアメリカの傘の下、強大な軍事力の傘の下にいつづけたがる日本って……orz。
でも、なんとか立ち上がらないといけませんね。ガッツで!

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