2006.1.7.03:10ころ
少年少女の夢の扉を閉ざすな(毎日新聞「記者の目」、2006.1.6、秋山信一記者:岐阜支局)
こういう記事が発信されると、なんだか嬉しい気持ちになります。
この記事がきっかけとなって、一般の人たちも議論の渦に巻き込んでいってくれればと、期待がふくらんでしまいます。
しかし、秋山記者の姿勢に共感をおぼえる私ではありますが、その提案に諸手を挙げて「賛成!」とは言えません。
それは私がひねくれ者だからではなく、
中南米にルーツを持つ子どもたちが日本の公立学校でどう扱われ、どういう教育を受けさせられ、どういう体験をしてきたかを、ここ数年に渡って見てきたからです。
今の日本の公教育のあり方やカリキュラムをそのままにするのであれば、そんな場に外国籍の子を無理矢理押し込めるのは、ある意味、虐待に等しい場合があると思うからです。
日本の公教育が、外国籍の子どもの可能性を伸ばすためにも将来の選択の幅を広げるためにも、何ら役立たないというケースを、さんざん見てきたからです。
日本の公立学校への通学を、外国人学校がない地域の子どもに義務づけるのなら、その前提として、「国民を育てる教育」をうたう教育基本法を改正するか、あるいは、それが「子ども権利条約」の下位規範にすぎないことを政府レベルではっきりと確認したうえで、たとえば「子どもの可能性を伸ばす教育」を目指すべく、学校カリキュラムの根本的なつくりかえを行う必要があると思います。
これについては、横の書籍リストに追加したばかりの、
『共に生きられる日本へ/外国人施策とその課題』(宮島喬、有斐閣選書)
『カナダの継承語教育—多文化・多言語主義をめざして—』(ジム・カミンズ、マルセル・ダネシ著/中島和子・高垣俊之、明石書店)
などが参考になると思います。
なお、義務教育化するかしないかにかかわらず、外国人学校への公的支援を厚くするという政策には、大賛成です。
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